器の展覧会「TABERU」を2011年8月5日から12日まで、チョロン札幌本店2Fスペースで開きました。今回も鎌倉のギャラリー「うつわ祥見」「onari NEAR」主宰の祥見知生さんが選んだ、たくさんの器が札幌へやってきました。そして開催を記念して、音楽家高野寛さんのライブを8月4、5の両日、開きました。



出展作家は、石田誠さん、尾形アツシさん、小野哲平さん、小山乃文彦さん、田谷直子さん、村木雄児さん、村田森さん、吉田直嗣さん、横山拓也さん、村上躍さん、巳亦敬一さんの11人。全国各地でしっかりと作品を作り続けている、信頼できる作家のみなさんです。前年の展覧会にも出展いただいたみなさんですが、まったく新しい表現の作品もあり、楽しい。

めし碗、湯のみ、皿、鉢点、片口、グラス…。さまざまな表情の、使ってみたくなる器がたくさん並びました。壮観です。

今回の展覧会のタイトルは「TABERU」。食べることは生きること。もっと「食べる」をまんなかに、生きるを確かなものにーそんな思いが込められています。食べることは生きること、器はその道具。器を大切にすることは、日々を、命を大切にすること。「食べるって当たり前のことだけど、なるほどそれは生きることなんだ」と思っていただく、きっかけとなるような展覧会にと思いで開きました。


大事にしたい、毎日使いたい器を、みなさんに見付けにいらしていただきました。


高野寛さんの2日連続ソロライブには、北海道内はもとより、遠くは長崎や静岡、福島からもお客様にいらしていただきました。本当にありがとうございます。北海道でのソロライブはおよそ10年ぶりという高野さん。力強く、繊細で、美しい、素晴らしいライブになりました。


祥見さんのたっての希望で、高野さんをお呼びすることになりました(高野さんをお呼びすることになった詳しい経緯は、この記事の後半にある高野さんのインタビューをお読みください)。
初日は、チョロン1Fが会場です。ギターを抱えて登場した高野さん。曲順をあらかじめ決めず「空気を読んでいきたいと思います」とその場で曲を選んで演奏していきます。新譜「カメレオンポップ」の収録曲はもちろん、以前のアルバムの曲や、デビュー当時の曲も「次はこの曲にしようかな」と、どんどん自由に演奏してくれました。

「以前に作った曲の歌詞が、今年になって違う意味を持ち始めた」と高野さん。3月11日以降まったく違った気持ちで歌うようになった曲がたくさんあるといいます。歌詞も前とは少し変えた曲もあるそう。原発のことを歌った「アトムの夢」も違った重みを持って聴こえてくるようです。

前半は座って演奏していた高野さんも「楽しくなってきました!」と後半は立ち上がり、ジャケットを脱いでの熱演。10年ぶりのソロライブ、しかもごく間近の距離で演奏する高野さんにやや緊張気味だった客席も徐々に盛り上がり、高野さんと一緒に歌う場面では、お客様の大きな歌声が響きました。高野さんもこれに笑顔でこたえ、「まだまだやるよー」と言いながら、約2時間たっぷりと聴かせてくれました。


2日目は、器の展覧会場でもある2Fスペースでのライブです。展示していた器を片付けてライブ会場をつくりました。こぢんまりとした、とってもアットホームな雰囲気の中での演奏です。

この日は初めに、高野さんと祥見さん、チョロンスタッフのキクチマコトとの3人で、ちょっとだけ器のこと、「食べる」ことについてトークをしました。高野さんの「札幌は空気がおいしい」との言葉が印象的でした。東京ではやはり息をすることにもストレスがあると言います。祥見さんの言葉を受けて「食べることと音楽は似ていますね。どちらも生きるためにかかせないものです」とも。笑いも交えながら、いかに健やかに生きていくかーということについて考えました。

そしてライブがスタート。この日も曲順を決めずに、のんびりと演奏が進みます。初日とは曲目も雰囲気も違うライブ。気持ちのいい空気が会場に満ちていきます。アンコールでは急逝した音楽仲間のレイ・ハラカミさんに捧げる演奏も。胸が熱くなりました。カリンバ(親指ピアノ)の弾き語りも素晴らしかった。

高野さんは「これからはライブをどんどんやり続けるしかないと思っています」と。今ライブがとても充実していて自信もあるーという言葉の通り、タフで、自由で、しなやかで、素晴らしいライブでした。「今度は10年なんて言わず、すぐにまた北海道へ来たいと思います!」と宣言した高野さん。ぜひ、すぐにまた。お待ちしています。
ここからは、ライブを前に伺った高野さんのインタビューを掲載します。
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TABERUライブ札幌公演にご出演いただく音楽家高野寛さんに、7月初めのとても暑い東京でお会いしました。そもそも高野さんをTABERUライブにお招きすることにしたのは、祥見知生さんが音楽家の細野晴臣さんから20年も前にうかがった、高野さんが言ったという「ひと言」がきっかけ。そのひと言をめぐって始まったお話は、食べることや生きること、新しいアルバムのこと、そして3.11のことへとどんどん広がっていきました。(聞き手:祥見知生さん、キクチマコト)

*生活のサイクルの中に音楽もある
祥見知生さん(以下、祥) 細野さんはこうおっしゃったんです。「高野君が言うんだよ。アスファルトの下に土がある、うごめいているって」。20年たっても印象に残っています。それで今回、食べる=生きるがテーマのライブにぜひ高野さんを招きたいと思った。覚えていますか?
高野寛さん(以下、高) 正直に言いますと、言ったかどうか、まったく覚えていないんですよね。ただ、いつもそういう意識はあります。父が林野庁関係の公務員だったので、子どものころは国有林のある町を転々として、大都会に住んだことはほとんどなかった。中でも小5から中1まで住んだ、当時静岡県で一番の過疎のまちだった春野町(現・浜松市天竜区)は強烈に印象に残っています。毎日山と空を眺めて過ごしていた。川があって、カブトムシなんていすぎて誰も見向きもしない。その3年間は、当時は嫌だったはずなのに、今は僕の中の一番の財産となっています。確かに地に、土に足をつけて生きていた。そういう体験が染み付いているので、東京の木の少なさ、土の少なさには居心地の悪さをずっと感じています。人工的で無理がある、その居心地の悪さに時々目眩のようなものに襲われます。細野さんから聞かれたという、僕の発言はそういうところから出たんだと思います。
僕ね、「世捨て人願望」みたいなものがあるんです。山にこもって、絵を描いたり、音楽を作ったり、自然の中で誰とも会わずに作品だけに取り組む。自分では、そんなこともできるタイプだと思っています。でも敢えて東京で俗なものにもまみれながら、不自然さと戦いながら、やっていくのに意味があるように感じてここまで来ました。しかし、今年になって、こういう大きな形で矛盾が出てくると、さすがに東京を離れる時が来たかと思っていますね。東京以外の場所に一つ拠点をつくって、東京と行き来するやり方で仕事ができないかなと。
キクチマコト(以下、キ) 今回は「食べる」がテーマのライブですが、食に関して気をつけていることなどありますか。
高 僕はもともとアレルギー体質で、4歳の息子も生後すぐにアトピーが出たりしたので、食事には気をつけていますね。添加物に注意したり、食事を少なめにしたりしたら体調も良くなった。そのことが精神に及ぼす影響は大きいです。以前は不規則に生きることこそが自然だと思っていた。ミュージシャンにはそういう人種が多いですけど、寝るのも起きる時間もデタラメ、一気に食べたり、創作に没頭して一日一食だったり。そんな時期もありましたが、規則正しい今の方がきちんと働けますね。
キ 生活の変化が音楽に影響していると。
高 生活のサイクルの中に音楽もあるという感じ。仕事だけが特別という意識は以前に比べなくなりました。家事を手伝ったりしながらちょっと心が動いたら書き留めて、後できちんと育てていくという作り方を今はしています。前はわざと荒波を立てるような、特別なイベントのある生活をしていないと曲は生まれないと思っていたけれどそうではない。でも、これだけ世の中が大きく動くと、逆に自分がぶれないことの方が難しいですね。いかに平常心でいられるかを考えなくてはいけないようになってしまいました。
*震災後は以前の曲が違う意味、役割を帯びてしまった
祥 確かに3月11日以降、環境が大きく変わりました。
高 息子のために以前から食品添加物を見るのは習慣になっていましたが、今は産地のチェックもせざるを得なくなってしまった。子どもを見ていると、体に入るものがダイレクトに自分をつくっていくという感覚がよく分かるので、やはり危険なものはとり込みたくない。東北の原発に近いエリアにいる方々とは比べるべくもないけれど、東京でも水や空気を含めてリスクがある。毎日緊張しています。先日ツアーで九州に行ったら開放感があって、東京での暮らしのストレスに初めて気が付きました。
「放射能汚染」ってSFではよくある設定ですが、大抵は戦争とか宇宙からの侵略者とかが原因。地震や津波があったにせよ、戦うべき「敵」が自分の国の中にいるというのはやはり奇妙なことです。秋ぐらいにはガイガーカウンターで測定するのが東京の日常の光景になるかもしれない。
キ 高野さんの作品にもSF的な設定や、人類にとっての不可避の運命を歌った曲が多い。新アルバム「カメレオンポップ」でもUFOが突然現れる曲(「kurOFUne」)があったり、以前には原発の危険性を指摘する「アトムの夢」という曲もありました。
高 さっき言ったように居心地の悪さをずっと感じていて、ここ数年は特に「本当に大丈夫か」という危機感で内面がざわざわし続けている。それが作品に反映しているんだと思う。自分ではその危機感は「経済」に由来するものと感じていたんですけれども。今の経済って、実体のないお金をどんどん生み出して、それでだれかが儲け、どこかで搾取が行われているというもので、仕組み自体がウソで意味が分からない。アルバムに漂う危機感はそういうところから生まれたんだけれど、震災後は、それぞれの曲が違う意味、違う役割を帯びてしまった。録音時と、ライブで歌っている今では、自分の気持ちもかなり違っています。
それは新譜に限らずで、「アトムの夢」も作った当時とは全然違う気持ちで歌っている。そういう曲が何曲もあります。昭和が平成に変わる時に作った「BLUE PERIOD」、ドイツの東西の壁が崩壊した時に作った「ベステンダンク」、阪神大震災の時に作った「All over,Starting over」「相変わらずさ」、9・11後の「確かな光」…。どれも時代の節目に作ったもので、今までも大事な曲だったけど、震災後にはそれらの曲が新しい使命、新しい命でよみがえったような気がしています。今、歌わなくてはいけない曲になった。でも逆に言えば、この20年、世の中は何も変わらなかったってことかもしれないですね。今回の震災、原発事故後にもなお「経済を成長させなくてはならない」なんて、バブル時代と同じ言葉が出てくるんだから。
*ライブをやり続けるしかない
キ そんな状況の中で音楽家には何ができると思いますか。
高 音楽ビジネスも崩壊した今、ミュージシャンにとっては純粋な衝動が試されている時といえます。僕はやっぱりライブをやり続けるしかないと思う。CDに収められるのは音楽のエネルギーの何割かにすぎず、ライブを一緒に体験している時の音とは違う。だからスタジオで録音して、それをライブで再現するというやり方はもうやめてもいい。録音物はもうライブ録音だけでいいんじゃないかと最近は思っています。そのためには自分をもっと磨かなければならないですけれど。坂本龍一さんはすべての公演を配信しているし、細野さんも毎月1回のライブイベントをずっと続けている。僕が考えているようなことにとっくに気づいて実践してみせてくれているような気がします。やっぱりYMOは超えられない壁としてどこかにいますねえ。
キ 高野さんにはライブというよりも、ご自身ですべての楽器を演奏して、録音してという、いわゆる宅録のイメージもあります。
高 最初はそうでしたね。もともと一人で絵を描いたり、文章を書いたりするのが好きで、同じように一人で録音する宅録という方法論にたどり着いた。でもライブが本当に生きている音楽で、録音物は仮の姿と考えると、仮の姿の方を一人で極めようとしても本当の本質にはたどり着けない。もともとバンドマンじゃなかったのでミュージシャンとの出会いがなく、一人でやり始めざるを得なかったんですが、今は周りに百戦錬磨の友達がたくさんいて、一緒に演奏した時にしか生まれてこない「特別なもの」をさんざん味わってしまった。それは家で一人でやっていても出てこないもの。一人で突き詰めるのも楽しいけれど、前ほどモチベーションが上がらないですね。結局自分がきちんと定まっていれば、そこに誰が入ってきても変わらずに、しかもより自由になれることが分かってきた。新しいアルバムも自分ひとりでやる部分と、友達との化学反応がいい案配で混ざりあって、いいところに着地できたと思っています。
祥 新しいアルバムのタイトルは「カメレオンポップ」。まさにポップで、音楽の喜びにあふれているように感じました。
高 タイトルも直感的なものなんですけどね。僕が考えているような「ポップ」な音楽ってもう絶滅しかけていると感じていて。
キ 高野さんの考えるポップな音楽とは。
高 うーん、シンプルに言うと、ヒットチャートの音楽を聴いておもしろかった時代の流行音楽、かな。プロの職人集団が愛情を注いで良い音楽を作り、その結果としてチャートがあった。みんなが同じ歌を耳にして、自然に覚えて口ずさんだ。レコードを持っていなくても歌える歌がたくさんあった。心に残った歌が並ぶ場所、それがチャートだった。ところがCDの時代になって音楽の目的がお金にすり替わっていってしまったような気がするんです。ミリオンセラーがたくさん出て「音楽はもうかる」という認識が定着しました。サビ以外は聞いたことのないヒット曲がたくさん生まれて、チャートの意味も変わりました。CDの売り上げと反比例して、テレビの音楽番組はどんどん減っていきましたね。CDはすぐ曲を飛ばせるからじっくり聞かなくなるし、ヘッドホンで音楽を聴くことが主流になって音楽が個人的なものになったという事情もあります。バブル経済が崩壊した後もCDバブルは20世紀いっぱい続いて。レコード会社ではCDを買う人を「ユーザー」と呼ぶんですが、僕はずっとそこに違和感があります。音楽を「use」するって何なんだ?「リスナー」と呼ぶべきじゃないか、と。受験の偏差値からドロップアウトして音楽に身を投じたはずなのに、結局音楽の世界も偏差値で計られてしまうのか、と。ヒットの後に「数の論理で」というその疑問をテーマにした曲を書いたりしています。万事そんな調子で、いつも周囲を呆れさせていました。(笑い)
僕は使い捨てみたいな曲を作ることができないし、アレンジにも流行の要素を入れられない。その分、さっき言ったような、昔の曲が重要な曲としてよみがえるということがあるわけで、間違ってはいなかったと思えるんです。若い時は変わりたいと悪あがきしたこともあったけど、今は自分の中の変わらないものが見えて、芯が定まった感じですね。自然な立ち位置にいられるようになったと思います。
*ここで決断しないと変わらない
キ より自然体で音楽ができるようになったということですね。しかし、3・11以降は、その立ち位置も見直さざるを得なくなったのでは。今はすべての人が自分の立ち位置を確かめているのかなと思います。
高 これだけ世の中が大きく動くと、自分を見直さざるを得ない。意識しなくてもそうなるでしょう。どんな仕事もやり方を変えざるを得ない。そんな中で、今まで通り何も変えなくていいと思える人は、いったいどういう暮らしをしていた人なのか、ちょっと信じられませんね。
祥 私は、どんな時でも「食べる」ことさえ手放さなければ何とかなると信じてきたのに、土さえあればと言い続けてきたのに、それが汚されていくのが本当に悔しい。
高 そうですね。土や海が汚れるというのは…。3月11日以降、ここまでならないと気づけなかったのか、止められなかったかと、ずっと自分の中で言い続けています。実は僕は三十ぐらいまで喘息が完治しなかった。学生時代にひどい発作になって吸入もできなくなったことがあって。それを機に、薬では治らないと体質を変えるようにして、長い時間をかけてようやく抜け出せた。原子力依存、お金依存っていうのは、薬に依存して何とか発作を止めていたそのころの自分と重なります。薬をやめるのは本当にきつかったし、時間もかかった。でも治ったんです。変えるのには時間がかかるけれど、今これほどのひどい発作が起きているんだから、ここで決断しないと変わらない。
電気も食べ物もすべてを自給するのは無理だけど、自分たちでちょっとずつ作り始めてみたらいい。ちょっとした庭があれば野菜を作ったり、小さな発電機や蓄電池を置いたり。そういうことが一般的になれば何かが変わっていくような気がします。キュウリがたくさん採れたから持っていってとか、うちのナスと交換しようとか、昔の近所付き合いみたいなことも自然に始まると思います。
*札幌ライブ。腕に磨きをかけていきます
キ 札幌でのTABERUライブが近づいてきました。ソロライブは久しぶりですね。
高 バンドなどではライジングサンロックフェスティバルも含めて行っていますが、ソロでは前回から10年以上も開いてしまいました。そんなに前だったのかと驚いています。前回は会場が暑くて、みんな汗だくになって聴いてくれたのが印象に残っています。今回は前回よりも腕に磨きをかけて行きますので、ぜひ楽しみにしていてください。北海道のおいしい食べ物も楽しみです。
<おまけ>
高 僕ね、陶芸やりたんですよね、昔から。今ちょっと時間がないんですが、いずれやりたい。さっき世捨て人願望みたいなことを言ったけれど、山にこもって、じっくりと取り組むようなことがやってみたいですね。でも、なかなかきっかけというか、出会いがなくて。
祥 それはもう私がいくらでもご紹介します。札幌の展示会には「これは」という器ばかりを持っていきますから出会ってください。陶芸家って、声を上げないけれども、何かが変わるかもしれないと思って、器を作っています。音楽家と同じですよね。どちらも心に響くものを作っているんです。
(7月4日、東京・港区で)
<高野寛さんプロフィール>
大阪芸術大学在学中に高橋幸宏とムーンライダーズが審査員を務めるオーディションに参加、絶賛を浴び、その後The Beatniksの全国ツアーにギタリストとして参加(21歳)。1988年、高橋幸宏プロデュースによるシングル「See You Again」でデビュー。現在までに16枚のシングルと、ベスト / ライブ盤を含む14枚のアルバムをリリース。代表曲は、「虹の都へ」(オリコン2位を記録)、「ベステンダンク」(共にトッド・ラングレンのプロデュース)、「夢の中で会えるでしょう」(坂本龍一プロデュース)など。田島貴男との共作シングル「Winter’s tale」(1992)を初めとして、コラボレーション作品も多数。司会を務めた「土曜ソリトン side-B」(NHK教育 1995~96)は、コアなサブカル的テーマを取り上げる番組として話題になった。2008年10月にソロデビュー20周年を迎え、MILESTONE CROWDS移籍第一弾シングル「LOV」をリリース。デビュー以来一貫した、音楽への真摯な姿勢と非凡なポップセンスは、多くの音楽ファンに支持されている。
ソロと並行してギタリスト / プロデューサーとしても多くのプロジェクトに参加。2001年以降はナタリー・ワイズ、GANGA ZUMBA(ガンガ・ズンバ)、pupa(ピューパ)等、バンドでの活動も精力的に行う。さらに2006年には「HAAS」名義のソロ・ユニット活動も開始。シンガーソングライターの枠を超えたインスト曲の作品を発表。ソロデビュー20周年を迎えUNIVERSAL MUSICに移籍し、アルバム「Raibow Magic」、2011年4月20日には待望のニューアルバム「Kameleon pop(カメレオン・ポップ)」をリリース。